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キヨラビ誕生物語

一難去ってまた一難

その準備の際、会社名や商品名をどうするか?デザインをどうするか?
商品名もこれはいい!と思ってもすでに商標登録されていて、あれもダメこれもダメ。だいたい考えることは同じです。なかなか決まりません。寝ても覚めても夢の中でも考えました。
こうなったら造語しかないということになって「清らかなお水で作った水素水で、心も体も清らかになってほしい」からの~「そしてさらに美しくなってほしい」ということで「美」。でも「清ら美」ではちょっとダサイでしょ!ということで、「KIYORABI」に決定。弁理士さんに頼めばなんとかなるらしい。ということで調査や申請をお願いいたしました。これで弁理士さんなる方がどんなお仕事をされているのかを明確に認識。ちょっとずつ賢くなっていったのです(笑)。
最近分かったのですが、「KIYORABI」は英語では極めて発音しにくいらしい。しまった~~!海外の人にも飲んでほしいのに~(笑)。まあそのときはそのときということで(笑)。

次はパウチのデザインです。甥が知り合いに商業デザイナーさんがいるということで、おそるおそるお願いに・・・。そのデザイナーさんも、しょーもないおばちゃんが二人で会社を始めると知って、超安値のお友達価格でデザインと会社のロゴマークを作ってくださることになりました。
しばらくしてお願いしたイメージどおりのものを含め、いくつかでき上がってきました。私たちの意向を忠実に表現してくれたデザインは完成度が高く、よしこれで行こう!と一旦は決めたのですが・・・もう1つがどうしても気になるのです。いただいた数枚のデザイン画を部屋中に並べ、何日も何日も見続け、考え続けました。よそを向いてパッと振り返ると、どうしてももう1つのほうが目に飛び込んでくるのです。そんなことを繰り返しているうちに用紙はボロボロ、コーヒーのシミだらけ。
決心しました。やっぱり気になってしかたがないもう1つのものにしよう。どちらがいいかというより、これを捨てると思うと、どうしても我慢できないのです。捨てきれないのです。
それが現在のデザインです(笑)。

しょーもないおばちゃん姉妹が始めた会社がまさかこうなるとは・・・と、後年デザイナーさんがしまった!!と・・・これもいまだに会うたびに笑い話です。

紆余曲折の末、会社名は「KIYORAきくち」に決定。近くにある黒川温泉が「キヨラ」という名称でいろんなことをやっておられたので、少々遠慮。それと熊本県菊池市の地下水を使わせてもらうわけですから、少しでも菊池のお役にたちたいということで、“きくち”をつけました。
後年黒川温泉の方々と知り合いになったのですが、そんな遠慮することなかったのに~と言っていただきましたが、結果的にはこれで良かったと思っています。

会社は何とか設立できたものの、さすがにおばちゃん二人だけでは無理。姉の二男が東京でアパレル関係の仕事をしていたのですが、転職を考えているということを聞いて、すぐに帰ってこ~い!!
いとこが仕事を辞めて起業を考えているけど、今から準備を始めるところと聞いて、じゃあそれまでお前もこ~い。その弟も会社辞めようと考えているらしい、と叔母が来ては何度もそう言うので、じゃあお前もこ~い!兄はずっと営業畑、弟はほぼずっと経理。結果ばっちりメンバーが揃ったわけです。

ところが一難去ってまた一難。そもそも何をどうやればいいかもわからないまま突っ走ってきたわけで、計画も何もあったもんじゃないという無計画ぶり。
機械の保証金とか、設備代とかパウチ代とかまだまだたくさんの資金が必要なのに資金が底をついてしまったのです。
姉も私もそれまでの仕事をまだ続けてはいたものの、準備に走り回っているので、収入は激減。私は自宅の電話、水道、ガスはたびたび止まるという有様。
ある日娘から電話で「ママ、水が出ないんだけど・・・」
「えっ?そんなことあるわけないでしょ!!」
ん・・・ん・・・んんん・・・あ~~そう言えば銀行口座にほとんどお金はいってなかったわ~~。
「え~っと、お友達んち行っときなさい。」(笑)。
そんな話をすると、やっぱりご苦労なさったんですね~。と言われます。一般的には苦労なのかもしれませんが、微塵も苦労なんて思いませんでした。姉には迷惑のかけっぱなしでしたが、私たちは毎日楽しくて楽しくて鼻歌まじりの日々でした。
夢と希望があればそんなことどうでもいいんです。失敗するんじゃないかとか、うまく行かないんじゃないかとか、針の先ほども不安に思いませんでした。
なぜなら、水素水は人類の歴史を変えるほどの発明品だと確信していたからです。
まだほとんど世に出回っていないものだけど、飲んでさえもらえれば絶対に分かってもらえる。とにかく作れるようにさえなれば、一人ずつ笑顔が増えていく。絶対に!間違いなく!!
それを想像するだけで嬉しくてしかたがなかったのです。自分にできることは限られている。でも私たちが作った水素水で幸せになる人が増えていく。
作れさえすれば・・・製造販売の許可さえ下りれば・・・。

大抵の方はこの辺りで諦めるのかもしれませんが、私たちは諦めるなどという気はさらさらなく、資金を出してくれそうな人を当たることにしました。
まずは入社した従弟たちの両親。要するに私たちの叔母夫婦。お願いしに家をたずねました。叔父も叔母も二つ返事でOKしてくれたのです。息子たちが世話になるから。という理由で。
でもそのとき用意してくれた資金も底を尽きました。万事休す!

約200万円の支払いが数日後という朝、
「ほこ姉ちゃん・・・」(私が志保子なので、身内ではこう呼ばれています)
と言うなり、従弟がおもむろにジャケットの内ポケットに手を突っ込みました。抜き出した手には100万円の札束が・・・。パ~ンとテーブルに置くわけです。目を丸くしていると、さらにスラックスの後ろポケットに手を突っ込み、さっと引き出した手にまた札束。テーブルにパ~ンと、まるでドラマのワンシーン(笑)。
わ~~~。歓声が上がりました。

叔母夫婦がさらに保険を解約してくれていたのです。それでお支払いして、まずは一件落着。
というのもつかの間、数週間後にまた300万円の支払いが迫っていました。
またもや万事休す!ここまで来て、もう一歩というところで資金が枯渇。
保健所の人が言ってたことは、こういうことか~~、とやっと気が付いたのです。あれはこういうことになるから(やめなさい!!)という意味だったのね~~。と、今頃気がついても遅いのですが・・・なぜか私はなんとかなる!という気持ちしかないのです。
何とかする!ではなく、何とかなる!!(笑)。
やろうと決意した日に光に包まれたのです。神様が何とかしてくれるに決まっている(笑)。
なんとまあ、こんなときだけ神頼みかい!と自分でも突っ込みを入れたくなりますが、人間切羽詰まるとまあこんなもんでしょ。

このご時世、田舎の村はずれの畑など売れることなどほぼありません。しかも道路が通ったことで分断された、細長い畑です。姉の舅親が持っていた土地ですが、道には面しているものの、細々と野菜を作る以外使い物にならない畑です。
ところがまた奇跡が起きたのです。どうしてもその土地が欲しいという人が現れたのです。
別の道路の話ですが、道路建設のため立ち退きを迫られた方で、どうしてもここに家を建てたい。その裏の土地を合わせれば十分家が建つと・・・。
そういう話があることは少し前から姉から聞いてはいたのですが、とうてい間に合うとは思えない。ところが県が要請した立ち退きの代替え地の話なので、不動産業者も入らず、とんとんと決まって、またまた支払いの数日前に入金。
姉の舅もすごい人だと思います。そのまままた貸してくれたのです。まだたったの1本も水素水を作っても、売ってもいないのに。
結局母の定期が満期になった。姉の簡易保険が満期になった。と合計1,000万円ほど追加で資金を集めることができたのです。姉もポケットのゴミ一つ残らないくらい出しきって、これから老後という時期なのに全部を賭けたのです。
私の家の水道が止まろうが、ガスが止まろうが、気にもならなかったというのもうなずけると思います。
それほど身内みんなが一蓮托生の思いで協力してくれたのです。

読んでくさっている方もお気づきになられたかと思いますが、起業するって知識や経験も大事ですが、まずは思いと思い込み、鼻息のみ・・・も、“あり”ということですかね(笑)。

保健所の方も忙しい合間を縫って何度も来て指導してくださいました。
細かいところはホームセンターに通ってとにかく手作り。「もし失敗したら、二人で居酒屋か弁当屋でもやろうか」と冗談を言いつつ。むき出しの木部のペンキも自分たちで塗りました。こげ茶のペンキを塗りながら、いい色だね~居酒屋向きだ~なんて冗談言いながら。看板も手作りしました。
お気に入りの鼻歌は中島みゆきさんの「地上の星/ヘッドライト・テールライト」
♪風の中のすばる、砂の中の銀河~♪・・・と歌いながら・・・。

そしてついにすべての工事が完了しました。あと3か月で最初に水素水を飲んだ日から2年になろうとする平成20年の年末でした。

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